その日、メルティアはジークと一緒に花畑へ来ていた。
目的はキノノタケの採取だ。
黄色くて、黒い点と、青い渦巻きがあるという非常に毒々しい見た目のキノコなのだが、適切な調合をすれば薬の材料になる。ただし、そのまま食べた場合、全身が痺れる危険なキノコでもある。
ジークと一緒にしゃがみながらキノコを採っていたメルティアは、ふと思い出したように顔を上げた。
「ねぇ、ジーク」
「どうした?」
「ジーク、どうして縁談なんて受けてたの?」
ギシっと、ジークの手の動きが止まる。
聞かれたくないことを突っつかれたらしく、かすかに冷や汗が浮かんでいる。
メルティアがじーーっと見つめ続けると、ジークは引きつった顔でメルティアを見た。
「……なんですか、藪から棒に」
「ここ、エルダーのことがあった場所だから……」
「……」
「あのとき、ジークが結婚するって知って、ジーク離れをしようと頑張ってたときだったもん」
「……それで急に騎士を増やすとか言ってたのか」
ジークが思い出すのも嫌そうに鼻の頭にしわを寄せる。
メルティアはぐいっとジークに顔を近づけて詰め寄った。
目は悪を裁く司法人のようにギラギラと輝いていた。
絶対に噓を見逃さないという強い意志が見える。
「で、どうして?」
ジークは少しのけぞってメルティアから距離を取る。
ぐいぐい顔を近づけてくるが、愛らしい顔をしている自覚がないのか、はたまた恋人になった感覚がまだ薄いのか、あまりにも無防備だった。
「……それは、まぁ、何と言いますか。あなたに新たな道を進んでもらうためでしょうか……」
「どういうこと?」
ジークは小さく息を吐いて、姿勢を正す。
手前にあったキノコを採りながら、ぽつりと呟いた。
「昔、約束をしたでしょう。十年経ったらもう一度考えると」
メルティアが五歳のとき、ジークにはじめて告白したとき言われた言葉だ。
そのときにメルティアは「約束ね!」と言って、妖精たちに教えてもらった遠い国の約束の仕方をした。
小指を絡める不思議な約束方法。
「ジーク、覚えてたの?」
「忘れませんよ。あなたとの約束を」
メルティアはその言葉にぐっと胸が詰まった。
覚えていた。
ジークは、メルティアとの約束をちゃんと覚えていたのだ。
胸がすっとすくような、春のあたたかい風が吹き抜けたような気持ちになる。
「そ、そっか。ジーク、覚えてたんだ」
メルティアは照れくささを誤魔化すようにキノコを毟った。
「はい。十年経って、もう一度よく考えた結果、やっぱりあなたは別の人と幸せになるべきだと思いました」
「どうしてそうなるの?!」
毟ったキノコを放り投げて、メルティアはジークに詰め寄った。
「それはほら、話したでしょう?」
「で、でも、わたしは、ジークが好きだったのに」
「だからですよ。あなたが何年経っても昔と変わらない目で見てきたから」
「じゃ、じゃあ、ジークは知ってたの? わたしがジークのこと好きって……」
「わからない人のほうがいないのでは?」
メルティアはかぁっと顔を赤らめて、視線を下げてキノコをブチブチ千切った。
筒抜けだったのだ。
メルティアの大切な恋心は、伝えるまでもなくボロボロにこぼれていた。
「まぁ、結局、未練があって実行するのに一年もかかりましたが」
「……未練があったの?」
「このまま有耶無耶にしてしまってもいいのでは、なんて考えたときもありましたよ。でもそれは、あなたのためにも良くないと」
ジークも葛藤していたらしい。
「どうして、急に?」
「俺に縁談が来ていることを知りました。父が隠していたようですが、偶然。ちょうど、あなたとの約束から一年経っていましたし、きっとこうするべきなのだろうと」
「……」
メルティアは不満げに口を尖らせる。
ジークの気持ちもわからなくはない。
それでもメルティアは、すべてを投げ出してもメルティアを選んでほしかった。
だってメルティアは、ジークと一緒にいられるのなら、国を捨てたってかまわなかったのだ。
「相談してくれたらよかったのに」
「俺は知らないことになっているので、口外しないのを決めていたのもありますが……。相談なんてしたら、あなたは意地でも離れようとしないでしょう?」
「……」
容易に未来が透けて見えてメルティアは沈黙した。
「わ、わたしは。平気だったもん。もしも何かを言われたとしても」
そう口にしたけれど、メルティアは視線を揺らして口を閉じる。
もしも何かを言われるとしたら、メルティアだけじゃない。ジークもだ。
たしかにそれは、嫌かもしれないと思った。
自分と結婚したせいでジークが悪く言われるとわかっていたなら、メルティアもためらったかもしれない。
「あなたはまだ16でしょう。子どもだ。その気持ちが変わらないとも限らない」
「変わらないもん!」
「今はそうだとわかりますが、当時はそうではなかったので」
黙り込んだメルティアに、ジークが目を細めて笑いかける。
「俺が嫌だったんです。あなたが傷つくのを見るのが。一国の姫なのだから、気軽に辞めるなんて言えない。結婚となったら一生だ。一生、ひそひそとささやかれ、死んだあともいろいろと書かれるかもしれない」
「でも、どこか二人で、こっそり暮らすとか。ジークと一緒なら、この国じゃなくてもよかった」
ジークはメルティアを凝視して、苦笑いをする。
「あなたに家族を捨てろとは言えませんよ」
メルティアは何も言えなかった。
本当の家族がいないと知ったジークは、もしかしたらずっと家族に飢えていたのかもしれない。
メルティアが兄と仲がいいのも、父と母にたいそう可愛がられて守られてきたのも、ジークにはどう映っていたのだろうか。
「け、結婚したら、ジークにも家族ができるもん」
「……」
今度はジークが沈黙する。
「何を言っているのかわかっているのか?」
メルティアはコクコクとうなずいた。
結婚して、子どもができたら、ジークにも正真正銘血のつながった家族ができる。
自分には血のつながった家族がいないと、捨てられた子だからと、負い目を感じることもなくなるはずだ。
メルティアはチラリと上目にジークを見つめた。
ジークはメルティアを凝視していた。瞬きもせずガン見だ。
そんなジークの視線に驚いて、メルティアは少しだけ身を引いた。
なんとなく、危険を感じたのだ。
ジークに危険を感じるなんて不思議な話だが。
「ど、どうしたの?」
ジークがメルティアの手を引く。
驚いてジークのほうへと倒れ込んだメルティアの首筋に、ジークの顔が埋まった。
首筋に綿毛が触れたようなこそばゆさが襲ってきて、メルティアは小さく身震いをした。
「……っ、」
きゅうッと身を固くする。
首を軽く吸われた気がして、メルティアの体が驚いて跳ねた。
行き場のない手でジークの服をきゅっとつかむと、ジークが疲れたように大きなため息をついて、メルティアの肩に額を押し当てる。
「ジーク……?」
ジークがぼそぼそと話す。
「……なるべく早く婚姻を結びましょう」
「え? うん、いいけど。何かあった?」
「タガが外れかかっていると言いますか……」
「タガ?」
純粋でキラキラした瞳に見つめられて、ジークはいたたまれなさを感じながらふいと視線をそらした。
「人の欲望とは恐ろしいものですね……」
メルティアは首をかしげてにこっと笑うと、ジークの隣に詰め寄ってピタリとくっついた。
そしてジークの腕にもたれかかるように頭を預ける。
「……メルティア様」
「ティア!」
「……ティア、もう少し距離をとったほうがいいかと」
「いいの。今誰もいないもん」
「……」
誰もいないから危険だと言うことをジークは口にするか迷って、結局言わなかった。
こうもにこにこくっついてくるのも信頼しているからだろう。
「……あなたの信頼を裏切らないよう、精一杯頑張ります」
「うん?」
「いいえ。こちらの話です」
ジークは片手でメルティアの小さな頭をなでて、また静かにキノコを採りだした。
「帰ったらお茶にする? ここにね、珍しいハーブが生えてたの」
「いいですよ。ああ、メイドたちが今日はパンケーキを焼くと言っていましたね」
「え! 本当? じゃあはやく帰ろう!」
ニコニコと言いながら、メルティアはジークにぴったりくっついたままだ。
ジークが器用に片眉を上げてメルティアを見下ろす。
「あなたも手を動かしてください」
「だって、もう少し、ジークとこうしていたいもん」
「……いつか襲われても知らないぞ」
「うん? ピンチのときはジークが守ってくれるもん」
「……努力します」
べたべたと甘い空気を見守っていた妖精たちが、クスクスと笑いながら祝福の粉を撒いた。