海の中なのに、水がなく、頭の上に海が広がってる水族館のような海底都市。
その街にある縦横ともに一番大きな白銀の建物こそ、私たちクラッド家の住む家である。
家のまわりには、色とりどりの花が咲き、透明な水晶玉が金の台座の上に飾られている。物体を永久保存できるクリスタルボールだ。玉の中には、光る貝やサンゴ、花たちが入っていた。
その装飾の間の正面通りで、不安気におろおろと周囲を見渡す人影があった。
でっぷりとしたおなかが印象的で、ふくよかでおおらかな雰囲気。私のお父上さまだ。
お父上さまは私と、お兄さまを抱えた星軍の姿を確認すると、脱兎のごとく駆け寄ってきて、そのまま私の体をぎゅっと抱きしめた。
「リィル! 大丈夫だったかい? 話は聞いたよ。無事でよかった」
聞きなれた声に、涙腺がぶわっとゆるむ。
「お父上さま……お兄さまがっ、私のせいで……っ!」
ボタボタと涙をこぼすと、お父上さまがトントンと背中をたたいてくれる。
「リィルのせいじゃないさ。とりあえず家の中に。医者は呼んでいるよ」
お父上さまが視線で星軍に合図を出す。
お兄さまを抱えていたあの老兵は軽く会釈をして家の中に入った。
私もぐすぐすと鼻をすすりながら、そのあとをついて行った。
泣いてばかりいたらダメだ。
ちゃんと、たしかめなきゃ。
大きなベッドに横たえられたお兄さまは、やっぱり目を開ける気配はない。ただ、苦しそうではなく、穏やかな顔をしているのが救いだ。
白衣を着た街の医師が、お兄さまの状態を診察して、聴診器を外す。
「……」
そうして、なんとも微妙な顔をしてふり返った。
私はゴクリとつばを飲む。
となりのお父上さまも、めったに集合しないお姉さまも、ジッと医師の言葉を待っていた。
「……眠っておられます」
その声に、お父上さまがぱちくりと目をまたたいた。
「寝ている? それだけかい?」
「はい。外傷はありません。脈も呼吸も正常ですし、ひとまず軽く検査しましたが、異常はどこにも見られませんでした」
お父上さまとお姉さまが顔を見合わせる。
「しばらくすれば起きるってことかい?」
「とはいえ、倒れ方が不自然だったようなので、しばらく経過をみましょう。その間に、より詳細な検査を行います」
私はうつむいて長い薄茶色の髪で顔を隠しながら、ぎゅっと手のひらを握りしめた。
寝ているだけ。
夢と一緒だ。
そんなこと、ありえるの?
私はお兄さまの部屋をこっそり出ると、ダッシュで自分の部屋へと向かった。
一気に駆けこみ、すぐにふかふか貝殻ベッドにダイブする。そして、枕の下に手を突っこんで、一冊のノートをとり出した。
これは、お姉さまにお願いして買ってきてもらった認証ノート。あらかじめ認証した人しか文字が読めないという画期的なノートだ。
私は指先をノートに当てると、すぐさまページをめくった。
このノートには、あの不思議な夢のことを書き記してある。ヒマなときに冒険談として読んで楽しんでいたからね。断片的なメモでも、それに引っ張られて思い出すから、「そうだそうだ、そうだった!」と二度美味しい思いをして楽しめたのだ。
まさか、私が楽しむだけのムフムフノートが役に立つときがくるなんて!
どこだろう。石持ち……黄色い石……。
たしか、戦っていたはず。戦っていたのは、ルイスだっけ? リンちゃんだっけ?
夢に出た人物を思い出しながら目を皿にしつつパラパラとめくっていくと、ようやく目的の一文を見つける。
黄色い石持ちの力で、ルイスの仲間の一人が眠りに落ちる。仲間を助けるために、ルイスたちは特効薬を作ることにした。
と、走り書きで書かれている。
そうだった。
渡り鳥レイヴン。レイヴンが、この黄色の石持ちと戦ったんだ。そしてレイヴンにいた医者が、特効薬も作り出した。
……でも、今まで生きてきて渡り鳥なんて聞いたことないけど、いるのかな。いなかったら困る。だって、特効薬が手に入らないもの!
考えてもしかたがない。とりあえずお父上さまに聞きにいこう。
私は部屋を飛び出し、お父上さまを探して家を練り歩く。お兄さまのところにいるのかと思ったら、医者だけが残っていた。どうやらすでに解散したらしい。緊急事態だと言うのに、薄情な。
私はお父上さまの書斎に向かった。扉の外にある認証版に手をかざし、自動で左右に開いた扉をくぐる。
「お父上さま~」
声をかけながら中に入る。
部屋の中は薄暗かった。でも、奥から音がする。書斎をぬけ、執務机がある奥の間に足を踏み入れる。ふと顔をあげた、その瞬間。頭のてっぺんに、ズドン!と雷が落ちた。
部屋の中心でぼわっと光っている映像。
映像を映し出しているのは、白い巻貝の形をした最新の貝殻型映写機だ。今ではすっかり定番となった、立体ホログラム映像。
そのホログラムが、空中に一人の青年を映し出していた。
くっきりとした二重に、透き通るような緑の瞳。混じり気のない金髪はサラサラと風になびき、長い手足を存分に使って剣を振るって敵を倒す。
ほんのり影のある、春の風のようなイケメン。
……ルイスだ。
間違えようがない。
何度も夢で見た。少し幼い気はするけれど、あれだけのイケメンの顔を見間違えるはすがない。
渡り鳥レイヴン所属の、風を使うイケメン剣士。翠翼隊の指揮官であり、隊長だ。
ぼんやりとその映像を見ていたけれど、ふと、動いていた映像の下に文字があるのに気づいた。
『渡り鳥、風碧ルイス──特別危険人物認定』
……特別危険人物認定?
何度もその文字を目で追った。
一度読んで、グッと眉を寄せてまた読んで、今度は目をこすってまた読む。
変わらない。
何度読んでも、『特別危険人物認定』と書かれている。
どういう意味だろう。特別危険人物認定って、いい響きじゃないよね。危険人物に認定されているし。
……いやいや、ルイスが危険人物? あり得ない。ルイスはかっこよくて優しいイケメンさんだ。なぜ危険人物に認定されている? しかも、“特別”までついてしまっている。
なにがあった!?
もしかして、そっくりな別人とか?
なるほど。そうなら納得だ。
「お父上さま」
私は真相を見極めるため、お父上さまに声をかけた。
「おお、リィル。どうしたんだい?」
お父上さまはニコッと笑って、映像を消した。
「あっ!」
「え?」
「映像! つけてくださいな!」
「えぇ? でも、リィルが見るようなものじゃ……」
「つ、け、て、く、だ、さ、い、なっ!」
「……」
父上はしぶしぶホログラム映像を流した。
再び流れたルイスの映像を凝視する。お父上さまが微妙な表情をしていたから、ご機嫌取りのためにポヨポヨの膝の上に座った。我がでっぷり父上はすぐにニコニコ上機嫌になった。単純でけっこう。情報も引き出しやすい。
「お父上さま、この特別危険人物認定って、なんですの?」
「あぁ、それかい? 海の使族から見て要注意危険人物ってことだよ。認定されると、より多くの情報が星軍から送られてくるんだ」
なんと、そうだったのか。
でも、要注意危険人物って?
「……この方は、危険な方なんですの?」
「そうだね。敵の可能性が高いかな」
えっ。
「リィルも気をつけるんだよ? 渡り鳥──とくに、この男のいるレイヴンには、決して、絶対に、なにがあっても! 関わってはいけないからね」
「……」
まずい。まさか、敵対関係だったなんて。これって、そういうことだよね?
海の使族と渡り鳥は、仲が悪い!
間違いない。だから私は今まで渡り鳥を知らなかったし、夢では海の使族が出なかった?
「その渡り鳥は、なにか悪いことをしたってことですの……?」
「いや?」
お父上さま? 悪いことをしてないのに、悪者にしてるってこと?! それって、冤罪……。
じっとりとした私の視線に気づいたのか、お父上さまが大慌てで身振り手振りで潔白を訴える。
「渡り鳥は空を飛んで海を渡るんだ。それで意見が分かれていて、海の使族の法を破っているとも言えるし、破っていないとも言える。渡り鳥は新興勢力なこともあって、まだ検討段階なんだよ」
ふむ、なるほど……。私はいったん蔑みの眼差しを納めた。父上が袖で額を拭って、安堵のため息をつく。
たしかに、海の使族の作った法律、『海の使族の許可なく海を渡ってはならない』というのがある。これはなによりも守るべき法律と言われていて、破ったら牢獄行きだとか。
この世界のピラミッドはてっぺんに海の使族、その海の使族を守護する星軍、地上の王族や豪族といった感じだ。
海の使族は絶対的存在であると同時に、この世界を守る役目も持っている。
なんと言っても、ほとんどが海。陸地は少なく、大陸と呼べそうなものにいたっては一つしかない。
だから海を操る力を持つ私たち海の使族は、ちょっとだけ特別な存在なのだ。
そして、私の夢に出た渡り鳥も、空を渡って冒険していた。空飛ぶ船に乗って旅する人たちのことを、『渡り鳥』と言っていたんだよね。その中でもさらに集団ごとに分かれていて、渡り鳥なんちゃらって名乗っていた。
ルイスは渡り鳥レイヴン。
うーむ、困った。気軽に「この渡り鳥レイヴンに会いに行きたい!」とは言えない雰囲気だよね。どうしよう。
悩みに悩んだ私はいったん持ち帰り、自分の部屋で状況を整理した。
まだ確定ではないものの、夢で見た渡り鳥が存在している。そして、まさかの敵対関係。お父上さまは渡り鳥と関わることをよしとしていない。
みんなに夢で見たと話して、信じてもらえる?
……いや、ないね。絶対ない。だって、お兄さまは私を頭の病気だと罵った! お姉さまはもっと信じてくれるとは思えないし、お父上さまに哀れみの目で見られたら腹立たしくってキーって頭をかきむしりたくなる。
言わない。いや、言えない。
頭のおかしい子の烙印はおされたくないっ。
とはいえ、どうしたものか。
確証があるわけじゃない。
でも、どうしても、無関係とも思えない。
いや、でも、本当に、ただ寝ているだけで、目が覚めるかもしれないし……。お医者様はそう言ってたもの。そもそも、レイヴンの居場所がわからないからね。そうそう。
そうやって、もしかしたら、もしかしたら大丈夫かもと思っている間に、一月、二月、と過ぎていき、いつの間にか三ヶ月が経っていた。
もちろん、お兄さまの目は覚めていない。
私の成人祝いのパーティーが開かれる予定だったけれど、こんな状況なので延期になった。
お父上さまたちも言葉にはしないけれど不安そうにしている。お兄さまはこのクラッド家の次期当主だもの。当然だ。
やっぱり、ダメだ。
このままじゃ、なにも変わらない。
頭がおかしいかもしれないし、あり得ないってわかってる。でも。
たしかめに行かなきゃ。
もしも、私の夢の中のレイヴンと同じなら、ルイスたちは、お兄さまの特効薬を作れる。
お兄さまは、私をかばって倒れてしまった。
だから、私が、お兄さまを助けなきゃ!
遅すぎる決意を固めて、ようやく腰を上げる。そして、部屋の衣装部屋から替えのピンクドレス引っ張り出してリュックの中に詰めこむ。
お兄さま、待っててくださいね。
私が絶対に、お兄さまの目を覚まさせてみせます!