どこで見たんだっけ。
ううん、私は地上に来るのははじめてだし、見覚えがあるほうがおかしい。けど。
どうしてだろう。
嫌な予感が止まらない。
屋根の上にいる緑髪の男は、右手に巻かれていた白い包帯を解き、手のひらをこちらに向けた。かすかにニッと笑ったのが見える。
あの、シルエット。髪色。右手。
頭の奥がチリチリする。
私は、どこかで、あれを……。
「オルキ様、お気をつけくださいっ!」
護衛のひとりが叫んだ。そして手に長剣を正面に構えたまま、守るようにお兄さまの前に立った、が。
その瞬間、その護衛は突如気を失ったみたいに力が抜け、膝から崩れ落ち、その場で前のめりに倒れこんだ。
星軍の純白のマントが虚しくなびく。
ゴンッと、額を打ちつけた音がした。
でも、痛がるそぶりもなく伏せっている。
「え?」
……今、なにが起きたの?
まさか、攻撃された?
でも、なにも見えなかった。
そもそも、攻撃って?
……海の使族に向かって?
そんなことが、あり得るの?
お兄さまも目を見開いて一瞬固まっていたけれど、すぐに厳しい目を緑髪の男に向ける。
「《ムサンシオ》」
お兄さまが低く呟くと、かすかに青い光を帯びた水の壁が現れ、私たちを守るようにぐるっと周囲を取り囲んだ。
よかった、お兄さまの強力なシールドだ。これがあれば、どんな攻撃だって弾き返す!
ほーっとお腹の底から息を安堵の息を吐いた、瞬間。また別の護衛が地面に倒れた。
えっ?
そしてまた一人、また一人と、私たちの周りにいた護衛が次々に倒れていく……。
「え、え、どういうことですの!?」
「シールドが効かないのか?」
お兄さまか唸るように呟く。
ええっ、まさかそれって、ピンチってこと!?
動揺しながら、とりあえず倒れた星軍の一人を揺すってみる。起きない。というか、安らかな顔をしている。今っ、口がむにゃむにゃ動いたけど、サボってるわけじゃないよね?
むーっと不信感を抱いて、適当に近くにいた人の頬を引っ張ってみる。むにーっと伸びた。起きない。
と、そこに小さな舌打ちの音が聞こえた。
乱暴にしたから怒られた!?
慌ててパッと手を離し、両手を後ろに隠す。証拠隠滅だ。
そのままぐりんっと首をひねりそっぽ向いたら、屋根の上にいる男と目が合った。反射的にビクリと肩が跳ねる。
ものすっごい敵意。
目が合っただけで感じる、ビリビリとした焼けるような殺意。
「せっかくターゲットに遭遇したってのに、数が多いと厄介だな」
男の唇が醜く歪む。
ターゲットって、なんのこと?
まさか、私たちのことじゃないよね?
そんなバカな。海の使族は敬われているはずでしょう?
鋭く冷たい眼差しに射ぬかれて、そんな生ぬるい考えは吹き飛んだ。
私の前にいたお兄さまが舌打ちをし、人差し指を上に向け、そのまま軽く回す。
その瞬間、青い光をともなって上空に現れた大量の水の槍。ひとつひとつが硬度を持ち、太陽の光を受けて鋭く輝く。
「行け」
お兄さまが手を真横に振り払うと、水の槍が一斉に男に向かって飛ぶ。
屋根をえぐる勢いで槍が着弾し、水蒸気が上がる。でも、男は軽々とステップを踏んでお兄さまの攻撃をかわしていた。
男の手のひらが、またこちらに向く。
やや上を向いた角度だったから、太陽の光がその手のひらの中心を輝かせた。
キラリと光る、見覚えがあるもの。
男の手のひらの中心に埋めこまれた、黄色く細長い石。
それを見た瞬間、私の脳天に雷が落ちた気がした。ただ呆然と、その石を見つめる。
物心ついたころから、たびたび見ていた不思議な夢。すごくリアルで、音も匂いも本物みたいに感じられた夢。
その夢では、空飛ぶ船に乗って冒険する人たちを眺めていた。
摩訶不思議なワクワクの世界で、不思議な生きものや、食べもの、アイテムがある。
なによりも、その夢には不思議な力を使う人たちが登場した。
石持ちと呼ばれたその人たちは、体のどこかに宝石のような美しい石が埋めこまれていて、それぞれ異なった力が使える。
そして、私は、この黄色い石と同じものを、夢の中で見た。
……でも、あれはただの夢のはずでしょう?
男の手のひらにある黄色い石が、ほのかに光った。
「リィル!」
前にいたお兄さまがハッとしたように振り返り、そのまま大きな体で私をぎゅっと抱きしめた。全身で私を隠すみたいに包みこむ。
「……っ」
耳元で、お兄さまの小さなうめき声が聞こえた。そのすぐあと、大きな体から力がぬけ、私の体にのしかかってくる。
そのまま私を押しつぶすように倒れこんできたから、一緒になって地面にひっくり返った。
「お、重い……っ! お兄さま! 大丈夫ですか? なにが……」
「ふんっ、デカいほうを仕留められたか」
風にのって冷たい声が届く。
その言葉に、背筋が凍った。
デカいほうって、まさか、お兄さまのこと?
仕留めたって……?
「あそこだ! 海の使族の護衛を! 犯人は取り逃がすな!」
増援が来たのか、白い軍服が街路を駆けてくる。お兄さまと戦っていた男は一瞬そちらに視線をやり、舌打ちをすると屋根を飛ぶように渡って逃げていく。
私は震える手でお兄さまの体をゆさぶった。
「お、お兄さま? お兄さま!」
いつもの綺麗な横顔。
でも、いつもと違うのは、目を開けてくれないこと。
お兄さまの下からなんとか這い出て、周囲を見る。てっきりケガをしているのかと思ったけれど、血は見当たらない。
嫌な予感が、ぶわっと押し寄せる。
胃がキリキリと痛んだ。呼吸が苦しい。
そんなはずない。あるはずがない。
だって、あれは夢。
ただの、夢なのに……。
頭の中で、夢で見た断片的な映像がフラッシュバックする。
手のひらに、黄色い石を持つ、『石持ち』の男。その男は、対象を眠らせることができた。
ただの眠りではない。
永遠に目覚めることのない、深い深い、眠り。
違うよね?
そんなはずない。夢だもの。ただの、夢。
「お兄さまっ、起きてください! 街中で寝るなんて……っ」
夢だって、そう思っているのに、目の裏が熱くなって、視界がにじんでくる。
目の前が、歪んでよく見えない。
「リィル様……」
肩にそっと、手が置かれた。
白い軍服。新しく来た援軍だ。白ひげの生えた屈強な老兵が、お兄さまのそばに跪いて、脈や呼吸を確認する。
私は両手を組んで祈った。
なんともありませんように。
ただ、気絶しているだけだって。
すぐに目を覚ますって、そう言ってくれないと。
老兵がゆっくりとふり返る。
眉が下がり、やるせない表情。
白いマントが、悲しそうに風になびいていた。
「一度戻りましょう、海底に」
「……」
唇が震えた。
うつむいて、ぎゅっと手のひらを握りしめる。堪えきれなかった涙がポタリと地面に落ちた。
今日は、観光で、楽しい日になるはずだったのに。
生まれてはじめての地上。
何度も憧れて、ずっと楽しみにしていたのに。
どうして?
あのとき、お兄さまは私をかばった。
私がぼーっとしていたから。だからお兄さまが代わりに……。
「ぅ……おにいさま……」
お兄さまの体をそっと抱きかかえた星軍の老兵と一緒に、私は海の中、アクアドリームへと帰った。