ピッコマ【選ばれしハンター最強に返り咲く】連載開始!

13 リリアの気持ち

 気まずい。

 リリアはそんな思いをぐっと胸に押し込めて、ガタゴトと揺れる馬車に乗っていた。
 向かい側には、気だるげに頬杖を付きながら窓の外を見ているグレイがいる。その横には、大きな欠伸をしているシーカーが。

 リリアは身を縮こまらせて、チラッとグレイの横顔を見た。いつも通りの威圧感だ。存在しているだけで、人を圧倒してしまう。けれども、とくに変化はない。

 昨日のは、幻覚だったのかもしれない。

 リリアはしだいにそう思いはじめた。

 ふいに、グレイの青い瞳が流し見るようにリリアに向いた。じっと見ていたから視線が合ってしまって、リリアは飛び上がる思いで身を小さくさせた。

「リリア」
「ひゃいっ」
「目の下、クマができてる。ちゃんと寝たのか?」

 流れるような動きで目の下を撫でられた。
 リリアはピキンッと体を硬直させると、はくはくと息をしながら、うなずいてるんだか分からない動きで首を振った。

「どっちだよ」
「ね、ね、寝てませんっ」
「ははっ、そんな勢いよく言うことか? 寝てねェんなら寝とけ。寝心地は、あんま良くねェだろうがな」

 笑った。鋭い目じりにくしゃりとシワを寄せて、今まで見た中で一番穏やかに笑っている。
 リリアは目をまるくしてグレイの顔を凝視した。

「あァ? なんだよ」
「い、いえ……。ボスも、笑ったりするんですね」
「喧嘩売ってんのか」
「す、すみませんっ。そういう風に笑うの、はじめて見たので」

 焦って首を横に振るリリアへ援護射撃が飛んでくる。シーカーだった。楽しそうに口元に笑みを浮かべて、ニヤニヤとグレイを見ている。

「確かにボス、あんま笑わないですよねぇ。もう存在が威圧的っていうか、野生の獣?」
「喧嘩売ってんだろ」
「やだなぁ、ボス。リリアサンを見て笑ってるボスを見て、こりゃおもしろいことになりそうだなぁなんて、これっぽっちも思ってませんよ」
「……シーカー」

 ニヤニヤとシーカーは笑い、グレイは不機嫌そうに口を閉じる。
 その空間から逃げることのできないリリアは、そぉっと寝たフリをしようと端によって、窓に頭を預けて目を閉じた。

 けれども揺れる度に頭を打ち付けるから、寝心地は良くない。

「シーカー」
「はいはいっと。わかってますよ」

 シーカーが立ち上がって、リリアの隣に座る。リリアがどうしたのかと思っていると、シーカーは親指で反対側を示した。

「リリア、こっちに来い」
「へ……」
「オラ、早くしろ」

 リリアは訳のわからないまま立ち上がって、反対側に腰かける。すると、グレイの腕がリリアの頭にするりと伸びてきた。優しく引き寄せられて、リリアの頭が傾く。

「え、えっ」
「寝とけ」

 肩を貸してくれようとしているのだとわかった。
 リリアはその不器用さに小さく笑って、少しだけ身を寄せる。シルカみたいだなぁと、そんなことを思った。
 そうして、グレイの肩に頭を預け、寝心地の良い場所を探って目を閉じた。

「ありがとうございます、ボス」
「……さすがに警戒心無さすぎだろ」

 ふわりと、爽やかな匂いがした。
 昨日一睡もできなかったリリアは、頭にかかっていく靄に吸い込まれながら、その匂いに身を寄せる。

 落ちていく夢の中で見たのは、「リリア」と優しく笑う、青い髪の少女だった。

「リリア、起きろ」
「ん……」

 心地よく髪を梳かれる感覚に、リリアは目を覚ました。目を擦りながら顔を上げて、鼻先に人の顔があることに目を見開いて飛び起きた。

「えっ! ボ、ボスっ」
「よく寝てたなァ。夜寝れるか?」

 言いながらグレイはぐるぐると首を回していた。それを見てリリアはギョッとする。

「え、あ、肩……っ、す、すみませんっ、ぐっすり眠ってしまって」
「いいから降りるぞ。今日泊まる街に着いた。明日は早朝からまた馬車だ」

 クイと顎で扉を示される。馬車の中にはもうリリアとグレイだけなことに気づき、リリアは慌てて立ち上がった。

 グレイの手を借りて馬車から降りると、夜の風が吹き抜けた。
 すっかり夜になってしまっていた。
 夜なのに、リリアの目は冴えてしまっている。

「散歩くらいなら、付き合ってやる」

 ニヤリと笑いながら、リリアの頭を片手でポンと撫でると、グレイは先を歩き出した。
 リリアはその背中を目で追って、触れられた頭を押える。

 『リリアチャンも気をつけなきゃダメよぉ』と、そう言っていたマダムの声が聞こえた気がした。

 小さくかぶりを振って、リリアはグレイの背中を追いかけて小走りに駆け出した。

 パーティーが開かれる港町まで、馬車で南下を続けて十日ほど。ようやく、リリアたちは目的地に到着していた。

「わ、何だか賑やかなところですね」
「祭りがあるんだとよ。海と街の繁栄を願う宴だったか」
「へぇー、そんなのがあるんですね」

 街の人たちはみんな、少し興奮したように頬を上げ、楽しげな表情を浮かべていた。
 飾り付けに使うものなのか、まるい大きな玉を担いでいたり、ヒラヒラと揺れる青と白の布を持っていたりする。
 港には、やけに立派な船がいくつも並んでいた。

「海賊に遭わないようにだとか、嵐に見舞われないようにだとか、繁栄の意味もいろいろだな」
「そうそう。今回のパーティーってのも、その祭りの延長線なんですよ。商人や貴族やらが集まって、街の繁栄……まぁ、金がいっぱいやってきますようにって祈るんすよ」
「身も蓋もねェな」

 シーカーがニヤリと笑って、人差し指と親指をくっつけてマルを作った。

「だから商談とかも行われるんですよね。リリアサン、何か困ったことがあったら、俺かボスに声かけてくださいね」
「わ、わかりました」

 リリアは神妙な面持ちで深くうなずいた。

「リリア。いいか、声をかけられても適当に相槌打っとけ。隣を離れんな。変なことはしなくていい」
「へ、変なことってなんですか……」

 リリアは困ったように眉を下げて笑う。

「困っていそうな人がいたから、とか。助けてあげなきゃ、とかか? いいか? おまえが助けなくても誰かが助ける。だからほっとけ。余計なことに首を突っ込むな」

 言い切ったグレイを、シーカーがドン引きした顔で見つめた。

「うわ〜。ボス絶対、束縛激しい面倒くさい男になるタイプですよね。まぁ、でもリリアサン」
「は、はい?」
「俺も、面倒ごとは嫌いなんで。変なこと、しないでくださいね」

 ポンと、両手を肩に置かれて、リリアは苦笑いをした。
 とことん信用がないらしい。

「大丈夫ですよ。ボスの隣にいますし、心配いりません」

 リリアはそう言って、気合を入れた。

 泊まる宿に荷物を運び終え、自由時間ができる。
 パーティーは明日開かれるというので、リリアは街のお祭りに向かおうとした。

 宿を出たところで、後ろから声がかけられる。

「おい。どこに行く?」
「あっ、ボス! お祭りです。外から来た人も楽しめるって聞いたので……」

 リリアの言葉がだんだんと尻すぼみになっていく。

「え、と。ダメでしたか?」

 グレイが大げさにため息をついた。

「勝手な行動するなって言わなかったか?」
「え、でも、それはパーティーのときだけじゃ……」

 リリアは戸惑った。
 明日の夜開かれるパーティーまでは、ある程度自由に楽しんでもいいと思っていたからだ。

「一人で行こうとすんな」
「ボスたちは疲れていそうでしたし、それに……こういうのあんまり好きじゃないですよね?」

 リリアはちらっと、街中に視線を向ける。
 祭りだから人も多く、にぎやかだ。
 グレイはどちらかというと、一人で本を読めるような落ち着いた空間が好きなことを、リリアはなんとなく知っていた。

「……おまえ、そういうとこはよく見てんのな」

 呆れたように呟いたグレイがリリアに手を差し出す。

「ほら、行くぞ」
「えっ」
「おまえ一人じゃなにが起きるかわからねェ」

 リリアは少しだけ迷いながら、そっとグレイの手を取った。

「ありがとうございます、ボス」

 迷子防止と繋がれた手に引かれるまま、リリアは祭りの中に飛び込んで行く。

 ぬるい潮風が人の隙間を吹き抜ける。
 大通りにはこの祭り限定の店が立ち並び、観光客に物を売りつけようと、商魂たくましく呼び込みをしている。

「おまえはこういうのが好きなのか?」
「うーんと、好きというより、あまり見たことなくて……」
「おまえの国には祭りがねェのか」
「え、と。私の国の女学院は、いくつかあるんですけど、距離が近いんです。それで、女学院専用の街みたいなのがあって、買い物もそこでします」
「ほぉ?」
「……その、選ばれるのは20歳までの女の子らしくて、20歳になるまで他の人とは隔離されて過ごすんです。だから、こういうのが珍しくて」

 リリアは言いながらキョロキョロと視線を飛ばす。
 見たことのない食べ物につられたり、変な置物を眺めたり。

「あっ、ボス! あれ、なんですか?」
「あ? ああ、メリランタだよ」
「めり?」
「菓子の名前だ。外側がカリカリしてて、中にクリームといちごのソースが入ってるんだったか。……食うか?」

 リリアはパッと瞳を輝かせてうなずいた。
 さっそくお店でひとつ買う。

 道行く人の邪魔にならないよう、リリアは横道に入った。少し薄暗いそこで、買ったばかりのお菓子にかじりつく。

 外側がカリカリサクサクしてると思ったら、甘いクリームが飛び込んでくる。舌の上を転がっていく甘さをじっくりと味わう。
 ひとくちかじっては感動して、またひとくちかじっては甘さに酔いしれる。

「美味いか?」

 リリアはコクコクとうなずいた。

「前も甘いもん食って感動してたな。おまえの国にはねェのか?」
「ん、と。一応ありますけど、あまり食べることはなかったですね」

 リリアは最後のひとくちを食べて、昔の記憶を探る。

「あ、でも、特別な日にはケーキがでました」
「特別な日?」
「王様の誕生日とか、王太子殿下の誕生日とか……」
「他人の誕生日かよ」

 鼻で笑ったグレイにリリアは苦笑いする。

「聖女の誕生日は祝わなかったのか?」
「とくには……」
「ふぅん。なるほどな」

 グレイは納得したようすでうなずき、リリアを見下ろした。

「ボス……?」

 グレイの空気が変わった気がして、リリアは身構える。

「おまえ、あの国に帰りたいと思うのか?」
「え、と……」

 リリアはなんと答えるか迷った。
 シルカに聞きたいことはたくさんある。いつか会わなければと思っている。けれど──。

「リリア」
「し、シルカには、会いたいと、思うんですけど。その……」

 リリアはどう言うか迷ったが、結局上手い言葉は浮かばなかった。

「わ、私、ボスの作った街が好きで、だからその。帰りたいかって言われると、わかりません……」

 リリアはへにょりと眉を下げ、懺悔するように小さな声でそう答える。
 グレイが片手でひたいを抑えて深く息をした。
 怒っているのかと思ったリリアはおろおろと視線をあっちこっちに飛ばす。

「ご、ごめんなさい。私は保護でここにいるんですよね。えっと、それって、いつまでですか? 私は、シルカに会えるんですか? あの国に帰るのはいつ──」

 グレイの手がリリアに伸びてきて、リリアの言葉は消えていく。頬を親指の腹でやさしく撫でられた。

「帰るなって、言っただろ」
「あ……」
「ここにいていい。ここにいろ。リリア」

 街を発つ前に、額に口付けられたことを思い出して、リリアは顔を真っ赤に染めた。やっぱりあれは、夢でも幻覚でもなかったらしい。

「……っ、ボス」

 リリアの頭の中に、『リリアチャンも気をつけなきゃ〜』という言葉が響いて、ハッとして背を向ける。

「リリア?」
「ま、待ってください。待って。少しだけ」

 胸のあたりで手をきゅっと握りしめて、リリアは何度か深呼吸した。正体不明の胸の高鳴りは、だんだんと落ち着いてくる。

 リリアは気をしっかり持とうと気合を入れる。

 確かに、グレイといるとなんだか不思議な気持ちになってくる。まるで、自分だけが特別な扱いをされているかのような。
 きっと、前の人もそう思ってしまったのだろう。だからマダムも気をつけなさいと言ったのだ。

 分かりづらいけれど、グレイは優しい。
 それだけなのだ。

 リリアは自分に言い聞かせると、くるりと振り返った。

「あの。もう十分楽しんだので、宿に帰りますか?」
「もういいのか?」
「はい。明日、パーティーもありますし。付き合ってくださってありがとうございました」
「まァ、おまえがいいならいいが……。なら、帰るか」

 差し出された手をリリアは凝視した。
 そして、少し迷って大丈夫だと首を振る。

「は?」
「道わかりますし、ちゃんと着いていくので大丈夫ですよ」
「……おまえ、この短時間でなんかあったか?」
「えっ、いえ、な、なにも……」
「おい、嘘つくな。目ェ泳いでんだよ」

 リリアはさっとうつむいた。

「リリア。何か気に入らねェならちゃんと言え」
「気に入らないなんて、そんな」
「じゃあなんだよ」

 重い沈黙が流れた。
 リリアはその重さに耐えかねて、きゅっと背中を丸めた。

「ぼ、ボスには、気をつけなさいって」
「は?」
「触ったら火傷するからって」
「はァ? なんだそりゃ。するわけねェだろ。おら、とっとと行くぞ」

 さりげなく手を取られて、リリアはされるがまま着いていく。
 リリアは繋がってる手を凝視した。なんとも思ってなかったのに、今はやけに手が大きいとか硬いとか、そんなことが気になってしまう。

「……シルカと、ちがう……」

 いつもリリアの手を引いてくれた少女とは、違うのだとリリアは実感した。シルカは柔らかくていい匂いがした。

 リリアの頭の中で、昔読んだ物語が思い浮かぶ。王子様とお姫様の恋を描いた物語。

 危険から逃れた先で、恋に落ちる。

 恋がどんなものか、リリアにはイマイチ分からない。でも、頭の中に響くのは、『リリアチャンも気をつけなきゃ〜』という、言葉だ。

「リリア」

 呼びかけられてリリアはハッとする。
 気づけば、宿に戻ってきていた。リリアはパッと手を離して頭を下げる。

「今日はありがとうございました。えっと、それじゃあ、また明日。おやすみなさい」

 リリアは一方的に言うだけ言って、パタパタと宿の中に戻っていった。

 繋がっていた指先がやけに熱く思えて、リリアはかぶりを振って煩悩を追い出した。