翌日、夕方前には身支度をはじめ、たくさんの人の思いが詰まったドレスや装飾を身につける。
そして、いつもよりかっちりとした装いをしているグレイとシーカーと合流する。
「いい感じじゃねェか」
「本当ですか?」
「あとは余計なことをするなよ」
「は、はい」
日が沈む前に、リリアたちはパーティーが行われるという、とある洋館を訪れていた。
招待状を渡してチェックが済むと中に入る。
その瞬間、視線が無数のトゲのように突き刺さった。
リリアは驚いて身を固くするが、隣にいるグレイは慣れているのかどこ吹く風。まったく気にしていないようだった。
「ぼ、ボス……」
「あァ、忘れてたがここではグレイと呼べ。そのほうがいい」
「ぐ、グレイ……さん?」
敬称をどう付けたらいいのか迷い、リリアは小首を傾げた。そんなリリアを見下ろして、グレイは口端を上げる。
「悪かねェな」
パーティーは立食形式だった。
優雅な音楽と、きらびやかな人たちに、リリアは尻込みする。ひそひそとささやくように交わされている会話に緊張した。
そんなリリアの緊張を感じてか、シーカーが何かとってくると言って料理のもとへ行った。
リリアもついて行きたかったが、今回のパーティーではグレイのそばを離れないという約束だ。
「そんなに緊張するんじゃねェよ」
「私、浮いてませんか? 大丈夫ですか?」
「浮いてるか浮いてないかでいっちゃァ、浮いてるがな」
「ええっ」
リリアは顔を青くして、周囲を見回した。
何人かの美女とバチンッと目が合い、リリアはドキッとする。
シルカといるときに注がれていた視線と少し似ていた。品定めするような目だ。
軽く会釈をしていると、グレイが品の良さそうな老人に話しかけられた。リリアもそちらに注意を向ける。
リリアはグレイの横で微笑みを浮かべながら黙っていたが、話が一区切りしたのか、老人の視線がリリアに向いて話しかけられてしまった。
リリアはなるべく穏便に対応した。
失礼がないように気をつけながら、会話をする。
そうこうしているうちに、今度は別の人にグレイが声をかけられていた。
ついて行こうと思うのだが、品の良さそうな老紳士に「あっちにあるのが美味しかった。食べたかい?」なんて聞かれると、「いえ、まだです。美味しそうですねぇ」なんて世間話をしてしまう。
気づけば、グレイとの間にかなり距離ができてしまっていた。けれども、熱心に話しかけてくる人を無下にもできない。
リリアは顔に微笑みを浮かべながら、内心は動揺していた。
話の切り上げ方が、分からない。
祈る気持ちでチラチラとグレイに視線を向ける。
その思いが通じたのか、グレイが後ろを振り返って、引きつった顔をして辺りを見回した。
リリアは「ボス、こっちです」と叫びたい気持ちで瞳に熱を込めた。
と、そこで天の助けが来る。
老紳士が別の人に呼ばれたのだ。
名残惜しそうに「また話そう」という紳士を見送り、リリアはグレイのところに向かおうとした。
が、待っていたとばかりにリリアの周りを美女が取り囲んだ。
心の中で悲鳴をあげながら、リリアは止まる。
周りをぐるりと囲われ、逃げ道を塞がれてしまった。
「少しお話してもよろしくて?」
「は、はい」
たくさんの少女や貴婦人たちは、オロオロしているリリアにグレイとの関係をたずねてくる。
リリアは事前に言われていた通り口にした。
「グレイ、さん、とは……えぇと。お、お付き合いを、して、います……」
「お付き合い……? お付き合いと言ったんですの?」
「フリーになったと思っていたのにぃ!」
「でも、前の方とは好みがずいぶん変わったんですのね」
リリアはその言葉にドキッとした。
「前の方は少し怖い感じがありましたものね」
「綺麗な方だったので、お似合いではありましたけど……」
「でもあなたは、なんだか、わたくしたちが悪いことをしている気分になってしまいますわ」
「ああ、わかります、それ。なんだか弱いものいじめをしているような」
きゃっきゃっと盛り上がっている美女たちを、リリアはあいまいな微笑みで見つめた。
「グレイ様とはどちらで出会ったんですの?」
「えっ!」
どちらと言われても、罪人として捨てられた先で出会ったとは言えない。
「え、っと……その。たまたま、助けていただいて……」
「きゃーっ! ピンチを助けるグレイ様! そしてそこからロマンスがはじまるのね!」
ピンクの花が咲きはじめ、自由な妄想がはじまっていく。あまりにも自由すぎる空間にリリアは呆然とした。
「あら、ごめんなさい。びっくりさせてしまいましたわね」
「い、いえ。大丈夫です」
「こうして恋の話にきゃいきゃい言っていますけれど、わたくしたちはみんな、親の決めた方と結婚ですわ。でもグレイ様は自由に恋愛してらっしゃるので、みんなひそかに憧れているんですのよ」
肩をすくめている美女たちをリリアは見つめる。
「恋って、どんな感じなんですの?」
「やぱり胸がドキドキしたり?」
「手が触れ合ったら燃てしまうような熱が弾けるんでしょう?」
矢継ぎ早に聞かれるが、リリアも恋がどんなものか知らないのだ。目を白黒させていると、ひとりの美女がリリアのドレスに目を向ける。
「それにしても、このドレス、素敵ねぇ」
リリアはその言葉にパッと反応する。
「ほ、本当ですかっ?」
「えぇ。色味が鮮やかでとても綺麗なのに、あなたのその不思議な瞳の色を引き立たているのねぇ。あら、こっちの装飾も素敵」
その言葉を皮切りに、リリアの身につけている物に話題は移っていく。
「グレイ様のところの新作かしら?」
「この腕輪、とっても細工が美しいわぁ」
リリアはドレスや装飾を褒められたのが嬉しくて、顔がゆるゆると緩んでいく。
教えられた知識を元に、興味を示した人にひとつひとつ丁寧に説明した。
「ここの模様がすごく細かくて、よく見るとリリスの花になっているんですよ。可愛いですよねぇ」
ちょっと興奮してまくし立てていると、じーっと生ぬるい視線を感じてリリアはハッとする。
食い気味だった自分が恥ずかしくなって、うっすら頬を染めてうつむいた。
「ご、ごめんなさい。このドレスや装飾を素敵だって言っていただけて、嬉しくて……。えっと……そろそろ行かないと。あの、ご興味があったら、いつでも話しかけてくださいね」
小さく笑って、リリアは頭を下げるとそそくさとその場をあとにした。
後ろできゃいきゃいと女たちの声が聞こえる。
大丈夫だっただろうか、何か失敗していないかと自信をなくしながら、こうやって話を切り上げればよかったのかと、リリアは学んだ。
リリアは歩きながらグレイとシーカーの姿を探す。
あんなに隣を離れるなと言われていたのに、すっかりと迷子になってしまった。
「どうされました?」
「えっ」
「どなたか探しておられるのですか?」
品の良さそうな紳士に声をかけられて、リリアは足を止める。茶色の髪を綺麗に整えて、黒のタキシードに身を包んでいる。
「あ、えっと、グレイ……グレイ・ベアードという人を知っていますか?」
「あぁ、存じ上げておりますよ」
「グレイ、さんを探していまして……」
「ならばご一緒にお探ししましょう、レディ。お名前を伺っても?」
「あ、す、すみません。リリア・エスカーナです」
穏やかに微笑んだその人に手を取られる。
そのまま歩きだそうとしたリリアを、苛立たしげな声が呼び止めた。
「おい、リリア」
人の話し声が響くパーティー会場でも、よく通る声だと思った。
リリアは声のしたほうを向いて、ほっと胸を撫で下ろす。
「ぼ……グレイ、さん」
「ったく、離れるなつったろうが」
「ご、ごめんなさい……」
不機嫌そうに近づいてきたグレイが、ジロリとリリアの手を見た。男に取られているほうの手を。リリアはパッと手を引っ込めて、慌てて紳士に向き直って頭を下げる。
「み、見つかりました。その、ありがとうございます」
穏やかそうな紳士は肩を竦めて笑った。
「おや、残念。それでは、レディリリア。また」
ニコリと笑い、グレイに軽く会釈をすると、紳士は優雅な足取りで去っていった。
ジロリと、リリアはグレイに睨まれる。
「ボケっとしてたのか?」
「えぇっ、違いますよ。その、は、話の終わらせ方が、わからなくて……。ボスは流れるようにどこかに行っちゃうし……」
最後は拗ねた口ぶりになった。
グレイが目をまるくしてリリアを見ていることに気づいて、リリアはハッとして口をつぐむ。そして、かぁっと頬を染め上げ、顔を隠すようにうつむいた。
「くっくっ、悪い悪い」
押し殺したような笑い声が頭上から聞こえて、リリアはますます恥ずかしくなった。
「目を離した俺が悪かった。大丈夫だったか?」
「えぇと、なんだか小さな冒険をした気分です」
「そりゃァ、よかったな」
グレイは皮肉るように笑って、エスコートするかのごとく、リリアの腰に手を回した。
一気に距離が近くなる。
ふわりと、爽やかな匂いがして、リリアは動揺しながらグレイを見あげた。目が合うと、グレイはゆるりと口角を上げる。
「後ろにいるもんだと思ってりゃ、いつの間にかいねェならな。こうしてたら安心だろ?」
「で、でも。ち、近くない、ですか……」
「聞こえねェな」
グレイは何でもなさそうに鼻で笑っているが、リリアはどうにも落ち着かない。
それに、何だかものすごく見られている。
珍獣を見るような好奇の視線が、会場中から放たれている気がする。
「あ、いたいた、ボス。リリアサン」
「シーカーさん!」
リリアはあからさまにホッとした。
「何してんですか。会場中の注目浴びてますよ。ま、そのおかげで居場所簡単にわかったんですけど」
「リリアが迷子になったんだよ」
グレイの言葉にリリアはキュッと身を小さくした。
シーカーの瞳がリリアに向く。
「えっ、リリアサン早速ですか。まぁ、予想してましたけど。どうせボスが、一人でホイホイ商談進めようとしたんでしょう」
「……」
「こんな人、目を離したらダメに決まってるじゃないですか。ね、リリアサン」
なぜか同意を求められて、リリアは否定も肯定もできずに笑って誤魔化した。
「悪かったな、気が利かなくて」
「まぁボス、腹が立つくらい女の尻追っかけたことないですからね。少しくらい学んだらいいんですよ」
「……おまえ、なんか今日機嫌悪くねェか?」
「気のせいですよ。あ、それよりリリアサン、何か食べました? おすすめだって配られてた料理をもらって来たんですけど」
皿を差し出されて、リリアは大きな瞳を輝かせる。
「わぁ、美味しそう」
「デザートもありましたよ。あとで見に行きます?」
「えっ、行きたいです!」
「じゃあボスが一人で商談してるときにでも行きましょうか」
「やっぱおまえ、今日機嫌悪いだろ」
シーカーは肩をすくめてから、リリアに料理の乗った皿を手渡す。受け取ったリリアは、小さな楊枝に刺さっているカプレーゼを口に含んだ。
「なーんか、今日嫌な感じするんですよねぇ。背中がぞわぞわするというか。ボスだって思ってるでしょう?」
「まァな」
もぐもぐと咀嚼していたリリアは、そうなのだろうかと首を捻る。比較する対象のないリリアにはよくわからない。
チラリとシーカーとグレイの視線がリリアに向けられる。リリアは食べていたカプレーゼを飲み込んで二人の顔を見つめた。
「リリアサンがいるからですかね」
「え、え?」
「まァ、それなら目立ってるっつうことだ。上出来だろ」
グレイが、リリアの持っている皿の上のプレーゼをひとつ取る。シーカーもそれに倣うようにカプレーゼを取って、口に含んだ。
瞬間。
二人は口を覆って、カプレーゼを吐き出した。
「ええっ、どうしたんですかっ?」
「どうしたじゃねェっ。おまえ、食ったのか?!」
「へ、え……た、食べました。美味しかった、です?」
ゴホゴホと咳き込むシーカーが、ふらりとその場を離れる。
「吐き出せ」
「ええっ、な、ボスっ?!」
グレイが乱暴にリリアの口をつかんで開かせる。指が喉の奥まで入ってきて、リリアは嘔吐いた。
「ぅ、やめっ」
「バカかっ、おまえが食ったのには毒が入ってんだよ!」