ピッコマ【選ばれしハンター最強に返り咲く】連載開始!

16 聖女の力

「ぼ、ボス! 大丈夫ですか?!」

 リリアを抱えて大きくジャンプしたグレイの肩に、一筋の赤が走っていた。
 タキシードもその下の白いシャツも切り裂いて、肌から血をにじませている。

「るせェ。身体強化できるつったろ」
「でも、血が! 腕……」
「かすり傷だ」

 かすり傷のはずがなかった。
 腕から流れる血は、指先を伝ってポタポタと床に落ちている。
 リリアは小さな血だまりに視線を向けた。

 赤。血の色。
 生きた人の証で、それが無くなったら、死ぬ。

 死ぬ?

 誰が──目の前にいる、この人が。

 リリアは守りたかったはずだ。
 誰も傷つかないように。誰も悲しまないように。
 選択を迫られたときに、リリアが迷ったりせずにグレイの腕を振り払っていれば、こんなことにはならなかった。

 リリアが、ほんの少しでも。

 この人と生きたい、と、そう思わなければ。

 リリアは強張った顔のまま、グレイの腕から溢れ出る真っ赤な血を見つめる。

「どうして……庇ったりしたんですか……」

 リリアの問いかけに、グレイは不愉快そうに眉をひそめる。

「理由なんかあるかよ」
「だって、血が、血が出てるんですよっ」
「おまえから血が出るよりマシだ」

 リリアは込み上げそうになる声をグッと堪えた。まぶたの裏が、じんわりと熱を持つ。なりふり構わず泣いてしまいそうだった。

「私は、私は……」

 力があったなら。

 リリアが本物の聖女だったなら、グレイの傷だって治せたはずだ。真っ赤な血だって白に覆える。肩の傷だって、何も無かったように時間を巻き戻せる。

 聖女の祝福の力は、どんな奇跡だって引き起こす。

「心配すんな」

 するりと、リリアの頬をグレイの指が撫でた。
 いつもは鋭い青い瞳が、優しく緩んでいる。リリアを安心させようとしているのだとわかった。

 ぐらりと、リリアの目の前が揺れる。
 地面が傾いたような、体が浮き上がったような。
 そんな錯覚がリリアを襲った。

 この人を守りたいと。
 そう、心が強く叫んだ。

 まだ、この人と一緒に生きていきたい、と。

 リリアは首に巻かれていたレースに指先をかけると、軽く引っ張った。ヒラリと、結び目が解けたように、レースは簡単に床に落ちていく。

 レースの下に隠されていた七色の石を軽くなで、リリアは手を組み、膝をつく。

 組んだ手のひらから光が漏れはじめた。
 それは手のひらから腕、肩、足と全身に広がっていき、リリアの体そのものが淡く光を帯びていく。

 白く、優しい光が、リリアの体を優しく抱きしめるように包み込んだ。
 吹くはずのない風が、ふわりとリリアの髪を浮かび上がらせていく。

 リリアの体の周りを、不思議な風が渦をまくようにして立ち上っていった。やがてそれはくるくると大きくなっていき、ホール中の窓がガタガタと音を立てて揺れはじめる。

 ぶわっと、周りの障壁をすべて弾き飛ばすようなひときわ強い風が吹き抜けた瞬間、リリアの下に、見たこともない、光を帯びた巨大な魔法陣が出現した。

 リリアがゆっくりと、紫の瞳を押し開けた。
 瞬間──目の眩むような閃光が、弾ける。

 網膜を焼くような、激しく、けれどもあたたかな光。

 リリアを中心に、キラキラと七色に輝く優しい光が、地上にそっと降り注いだ。

「あ、あれ……。動けるわ」
「苦しくない……」
「わしの膝も治っとるっ。何が……っ」

 床に伏して苦しげな声を上げていた人たちが、ゆっくりと体を起こし、降り注ぐ光に手を伸ばした。

「きれい……」

「ど、どうなってる?!」

 慌てふためいたのは、騒動の主犯の男だった。
 淡い光を放つリリアと、意識を取り戻して立ち上がる招待客たちを見比べている。慌てて、リリアに向かってピストスの標準を合わせ、引き金を引こうとした。

「ばァか、遅ェよ」

 グレイが一瞬のうちに男の後ろに回り込んだ。腕を捻り上げ、そのまま床に組み伏せる。

「寝てろ」

 グレイが指先で男の頭を弾くと、男は事切れたように力を失ってだらりと床に転がった。男が握っていたピストルを奪い取り、グレイは顔を上げる。

 リリアの周りに、人が集まっていた。
 人をかき分けてリリアに近づいたグレイは、そのままリリアを隠すようにして抱きしめる。耳元で、リリアにだけ聞こえるようにそっとささやく。

「リリア、もういい」
「……ボス……?」

 リリアは虚ろな瞳でグレイを見て、小さく首を振る。

「血が……」
「ばァか、血ならもう止まってる」
「ほんとうに?」
「本当だ」

 リリアはほっと表情をゆるめると、グレイの肩に額を押し付けて、目を閉じた。

「すみません、ボス……ねむくて……」
「寝てな」

 トントンと背中をあやすように叩かれて、リリアは深い沼に沈むように眠りに落ちた。

 祭りの宴だったはずのパーティーが、死の毒殺パーティーに変わったと、街は恐怖に戦慄いた。

 けれど同時に、救いの女神が現れたと、そうささやかれてもいた。

 数日眠りについて、ようやく目を覚ましたリリアは、それをシーカーから聞いた。

「ええっ、私のことですか?」
「そうですよ。俺も見たかったなぁ。リリアサンの女神」
「私、あまり覚えていなくて……」
「そうなんですか?」
「えっと、はい……」

 リリアは苦笑いをしながらうなずいた。

「みんな、無事だったんですよね?」
「まあ、一応は。俺は毒が抜けるまでちょいと痺れてましたけど、この通りですし。ボスがいろいろ呼ばれて忙しくしてますけど、それ以外は特にないですね」

 リリアはほっと胸を撫で下ろした。
 そして、あの不気味な笑顔を浮かべていた紳士を思い出す。

「犯人は捕まったんですか?」
「捕まりましたよ。海賊の仕業だったそうで、そこから芋づる式にしょっ引いてるらしいですね。金品、女子どもを売っぱらっている、正真正銘の悪党ですよ。ずさんな警備をしたってことで、主催者はえらい責任を取らされるみたいですけど、まあ、当然ですよね。中に内通者がいたんですから」

 シーカーが冷たく笑って、額にうっすら青筋を浮かべる。
 リリアはちょっとだけ恐ろしくなって布団を首まで引き上げた。

「リリアサンこそ、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です。とくに痛いところもないですし」

 気づいたらベッドに寝かされていたのを、リリアは思い出す。そして、あのパーティーで見たこともないような焦りと不安を宿した顔をしていた、グレイのことも。

「ボスは、大丈夫でしたか? 腕……」
「ああ、大丈夫ですよ。リリアサンが治したんで」
「そ、そう、なんですかね?」

 あまり実感がなく、リリアは自分の首に付けられている七色の石に触れた。
 そして、シーカーに向かって手をかざす。

「……何にも、起きません……」

 リリアは肩を落としてため息をついた。
 リリアがたくさんの人を癒したのだと、そう説明されたものの、リリアに祝福の力はなかった。

「まあ、コツがあるのかもしれませんね。俺らも、自由に力を引き出せるようになるまで、それなりに時間がかかりましたから」

 励ますようなシーカーの言葉も、リリアには真っ直ぐ響かなかった。
 歴代の聖女で、力の安定しない聖女がいたなんて聞いたこともない。

 やっぱり聖女ではないのか、それともリリアは欠陥品なのか。

 ため息をついていると、トントンと扉をノックする音が響く。

「あー、ボス帰ってきたみたいですね。それじゃあ、今度は俺が出てくるんで。大人しくしててくださいね」
「は、はい。お気をつけて」

 ふわふわの髪を揺らしながら、シーカーがひらりと手を振って、扉を開ける。

「ボスー、リリアサン起きましたよ」

 そう言って、グレイと入れ替わるようにして部屋を出ていった。
 バタンと扉が閉まる。リリアは少し迷うように視線を左右に流してから、そっと、顔を上げて扉のほうを見た。

 そして、ひっ、と顔を引きつらせて、逃げ場のないベッドの上で後ろに身を引く。

「ぼぼぼボスっ、かお、顔っ、こ、こわい、です」
「あァ?」
「ひいっ」

 鬼のような形相でグレイが近づいてくる。
 リリアはあわあわと逃げ場を探して視線をさまよわせた。

 逃げ惑うリリアのベッドの横に立つと、グレイは高圧的に、見下すようにリリアを見た。

「ご、ごめんなさっ……」

 リリアの声が、途切れる。

 抱きすくめるようにして、グレイの腕がリリアの頭と背中に回っていた。

 耳元に、かすかな吐息がかかる。

 やけに熱のこもった低い声が、リリアの鼓膜を撫でるように震わせた。

「無事でよかった……」