「きゃ……!」
乱暴に馬車から引きずり出されて、放り捨てるように投げ出された。むき出しのゴツゴツとした岩が突き刺さる。手足を擦りむいて、血がにじんだ。
リリアは顔を上げてあたりを見回した。人が住むこともできない、山の入口だ。まさか、ここで生活しろとでもいうのか。
リリアが立ち上がったときには、もう馬車は走り去っていた。
「待って、待って……!」
伸ばした右手が、頼りなく下がっていく。うつむいて、強く唇を噛んだ。ポタポタと、雫が地面に落ちて小さな丸い円を描く。
こんな場所で、生きていけるはずがない。
国外追放なんて名ばかりで、面倒だからその辺で野垂れ死にしてくれと言わんばかりだ。
ここがどこなのかも、リリアにはよく分からない。
どれくらい歩けば人がいる場所に着くのかも。
人がいるところに着いたとして、普通に暮らせるのかも。
「私は……死ぬのかな?」
リリアはぽつりと呟いた。
そうして、首に付けられているチョーカーへ手を伸ばす。中心に七色に輝く石のついた、聖女の証だ。
神の媒介のためのものだと、リリアはそう教わった。
けれども、リリアに祝福の力はなかった。
いいや、もっと正しく言うならば、リリアは祝福の力を確かに持っていた。使ったことがあるのだ。手から神々しい光を出した。
だから聖女として認められたのだ。
「あれは夢だったの……?」
ガリガリと細い指先でチョーカーを引っかく。
繋ぎ目もないチョーカーは、リリアの首にピッタリとくっついているみたいに離れてはくれない。
行く当てもなく途方に暮れていると、遠くからガラガラと車輪の音が聞こえた。リリアはふと顔をあげる。
「馬車……?」
遠くに、漆黒の馬車が見えた。ずいぶんと立派な馬車だ。真っ直ぐにリリアのいる方向へと向かってくる。
このままでは引かれてしまうと思ったリリアは、立ち上がって端に避けた。
そして、馬車が過ぎ去るのを待とうとしたが、馬車はピタリと走るのを止めた。リリアの目の前で。
「え……?」
馬車の扉が開く。中にいたのは、ピシッと乱れなく執事服を着こなした、男の人だった。メガネをくいっと押し上げ、リリアを見る。
「遅れて申し訳ありません、リリア様」
「だ、誰、ですか……?」
「あなたを匿うよう、命を受けました。クヴィスリン宰相は、あなたこそ本物の聖女だと思っております。さあ、お手を。お屋敷にて、あなたの保護をいたします」
「クヴィスリン宰相様が……?」
リリアは少しだけ動揺した。
ルーザー・クヴィスリンといえば、この国の宰相を務める男だ。ふくよかなおなかと、立派な白いヒゲが印象的である。リリアは数回会話をした程度だ。
それに、ルーザー・クヴィスリンは、リリアが聖女になったばかりのころ、王太子に要注意人物と言われた名前だった。
「……あの、私は国外追放となった身です。私を匿ったりなんてしたら、クヴィスリン宰相様にご迷惑がかかってしまいます」
リリアは小さく首を振った。単純に、申し訳ないと思ったのだ。馬車を飛ばして来てくれたことは、とても嬉しかった。
王太子は要注意人物と言っていたけれど、リリアから見れば救世主だ。
でも、だからこそ、そんな救世主の足枷になってしまうのは嫌だった。
「……ですけれど、あの。すごく図々しいのですが、どこか……人のいる場所まで送っていただけないでしょうか? お礼は、いつか、ちゃんと、しますので……」
リリアは情けなく眉を下げて笑った。人がいる場所にいけたなら、今の絶望的な状況からほんの少しだけ救いが見える。
クヴィスリンの使いだという男は、目を細めてメガネを押し上げる。
「あなた一人で生きられるとでも?」
「が、頑張ります」
「それは不可能でしょう。厄介者を雇う店などあるはずがない」
「……他の、国とか」
「入国許可が降りるとでも?」
「小さな村ならたぶん……」
「小さな村のほうが結束力が高い。よそ者を歓迎するとは思えませんね。今のあなたは、どこの国の土地でもない、こんな人が住めない山しか行く場所がないのですよ」
リリアはぐぅのねも出ないほど返り討ちに合う。
黙ってしまったリリアに、白い手袋がされた手が伸ばされる。
「安心してください。クヴィスリン宰相はあなたこそが聖女であると。あなたの名誉を、きっと取り戻してくださるでしょう」
「どうして、そんなことを……?」
「あなたの奇跡を、その目で見たからでしょう」
リリアは迷った。この手を取ってしまっていいのか。迷惑をかけてしまわないか。
「あの、私は何をすればいいのでしょうか?」
「何も。ただ、少々窮屈な生活を送っていただくことにはなりますね」
「窮屈、ですか?」
「はい。外に出ることは、叶いませんので」
リリアはなるほどとうなずく。国外追放となった女が、ふらふらと出歩けるはずはない。
でも、本当にいいのだろうか?
今のリリアは祝福の力が使えない。国一番の爆弾を背負うなんて、宰相は何を考えているのだろうか。
リリアの迷いを感じ取ったのか、目の前の男はニコリと優しく微笑む。
「遠慮することはありません」
「ですが……。ご迷惑では、ないでしょうか?」
「もちろん。さあ、お手を」
差し出された手を、リリアは迷った末につかもうとした。右手を伸ばし、重ねようとしたその瞬間。
「あーっ、ちょっとちょっとー。勝手なことされると困るんですけど」
少し陽気な男の声が響いた。山の、少しだけ張り出したところに、誰かが、いる。太陽が眩しくて、リリアは手をかざしながらその人物を見ようとした。
「手ェ出さないでもらえますかね? ソレ、もうウチのもんなんで」
太陽の光が遮られたことで、少しだけ顔が見える。飴色の髪に、ハシバミ色の瞳。ふわっふわのくせ毛が風で揺れていた。
その男は、ニヤリと悪い顔で笑いながらリリアを真っ直ぐに見ていた。