ピッコマで小説2作連載中!

22 ピンチ

 リリアは驚いて前を見る。
 そこには、クヴィスリン宰相の使いの男がいた。メガネをクイッと押し上げて、ゆったりと微笑んでいる。

「……あんた、もしかして、同類?」

 シルカが眉間のシワをぐっと深くした。
 なんのことだろうかとリリアが首を傾げていると、クヴィスリン宰相の使いの男は、ニコリと笑って真っ白の手袋を外した。
 その中指には、キラリと光る緑の石が付けられた指輪がはめられていた。

「……どうりで。普通なら、着いてこれるはずがないもの。この速さに。あなたもウィングね」

 シルカの言葉に男は楽しそうに微笑む。

「あなたもそうではないかと思い、常々動向を光らせておりました。国を欺いた聖女、シルカ・ロール。いえ、革命家シルカ・ロールと呼んだほうがいいでしょうか?」

 バチバチと睨み合うシルカとクヴィスリン宰相の使いの男を、リリアは戸惑いながら交互に見つめた。
 一触即発の気配を感じて、リリアはゴクリと唾を飲む。ゆっくりと、地面に下ろされて、リリアは不安げにシルカを見た。

「もう少し行った先で、落ち合う予定だったわ。あんただけで行けるわよね?」
「え……」
「おや、それは困りますね。リリア様を外に出すわけにはいきません」
「口挟まないでくれるかしらっ?」

 シルカが苛立たしげに舌打ちをした。
 リリアは戸惑う。このままでは、リリアはシルカに甘えてばかりだ。けれども、ここにリリアがいたとして、なんの役に立てると言うのか。
 リリアは、聖女の力を上手く使えないのに。

「わ、私は……」
「待て!」

 リリアの言葉を遮るように、凛とした声が響く。勇ましく、けれども年老いた男の声だ。
 ルーザー・クヴィスリンだった。
 背後に数人の兵を従えて、馬に乗って駆けて来ている。

「リリア! 戻りなさいっ!」
「リリア! 行って!」

 ふたつの声が重なった。リリアは瞳を揺らして、クヴィスリンとシルカを見る。

「待ちなさいっ、リリア! リリア・クヴィスリン!」

 ゆっくりと、リリアの足が止まる。戸惑いを顔にめいっぱい浮かべて、リリアは振り返った。

「これを、これを見なさいっ」

 そう言って、クヴィスリン宰相が取り出したのは、彼の胸元にかけられていた銀のロケットだった。
 パカリと蓋を開けて、リリアに向かって必死に差し出してくる。

 リリアは戸惑いながらも、ゆっくりと近づいた。シルカがぎょっとしたようにリリアの腕をつかんで止める。

「あんたねぇっ」
「ご、こめんシルカ。でも、なんだか気になって……」

 馬を降りて、ゆっくりと歩み寄ってきたクヴィスリンを、リリアは正面から見た。立派な白いヒゲが、少しくたびれているように見える。

「……これを」

 リリアが手を差し出すと、シャラりと音を立ててロケットが手の中に落ちてきた。リリアは視線を向けて、ヒュッと息を飲む。

 そこには、リリアがいた。
 正確に言うならば、リリアによく似た、穏やかに微笑む女性が描かれていた。
 リリアはマジマジとその絵を見る。ロケットの中の女性は、リリアよりもいくらか大人びて見えた。

「……どういうこと?」

 リリアの手元をのぞき込んだシルカが、不審そうに眉を寄せる。

「……私の妻だ。今はもう、亡くなっている」

 リリアはパッと顔を上げた。

「この国では、生まれた娘が取り上げられることは、知っているね?」
「……はい、知っています……」
「私には、息子がいたんだ。その息子夫婦も、事故でなくなっているがね。その息子夫婦には、娘がいた。生まれてすぐに、国に取り上げられたよ。その子は、私の妻によく似た、紫の瞳をしていたそうだ」

 クヴィスリン宰相がリリアの瞳をじっと見つめた。リリアは声なく空気を噛んだ。

「きみにはじめて会ったとき、驚いた。妻の生き写しかと思った。そうして、年齢を聞いて確信した。私の孫だと」
「……じゃあ、私を、匿おうとしてくれたのは……」
「私情だと、言っただろう。孫を取り上げられたのが憎くて、この国を変えてやりたいと思った。だけど、いざ、きみを目にしたら、私は国よりもきみを選んでしまった」

 リリアはキュッと、ロケットを握りしめた。

「わ、私の。おじいちゃん、ですか……?」
「……確証はない。だからハッキリとそうだとは言えないよ。でも、そうだといいと、そう思っている」

 大切なものを見るかのように、優しく目尻が下げられていた。

「おじいちゃん……私に、家族……」

 どこか呆然としたように呟くリリアと、反対に、訝しげに眉を寄せながらクヴィスリンを見るシルカ。

「宰相様。なら、あなたはリリアを救うため、邸宅に監禁した、ということで合ってるかしら?」
「……監禁。いや、そうなるのかね。私たちは国と関わりが深いからね。とある情報を掴んだ」
「情報?」
「ああ。シルバート」
「はい」

 シルバートと呼ばれたメガネの男が、懐から紙を取り出す。宰相が紙を受けとり、さっと目を通すと、リリアたちに向かって紙を差し出した。

「リリア。きみは、命を狙われている」
「え……。誰に……」

 リリアが顔を強張らせたそのとき、派手な爆発音と、銃声が響き渡った。

「きゃっ、な、なに?!」
「リリア!」

 隣にいたシルカが、咄嗟にリリアを持ち上げ、飛び退いた。細い腕に紅い筋が走る。

「シルカ!」
「平気よ。かすり傷だわ」
「でも、血が……」

 リリアは青白い顔をしたまま、シルカに手をかざして祈る。けれども、何も起きない。

「ご、ごめんね、シルカ。私のせいで」

 声を震わせながら、止血をしようと着ていた服を破こうとしたリリアを、シルカが小突いた。

「その、私のせい、っての、やめなさい」
「でも」
「でもじゃないわよ。私が勝手にしたことを、あんたのせいにしないで。自意識過剰だわ」
「うっ。えっと、じゃあ、ありがとう。かばってくれて。でも、もうかばったりしないで」

 ない力で必死に服を破こうとしているリリアを見て、シルカがやれやれとため息をつきながら、ビリっと簡単に自分の服を破く。

「シルカ……」

 リリアはじとっとした目でシルカを見た。

「あんたの細腕じゃ破くのに何年もかかるわ」
「シルカだって細いよ……」
「私はウィングがあるの。忘れたの?」

 リリアはむぅとしながらも、シルカが破いた服を受け取って、止血をする。
 そこまで深くなかったのか、すぐに血は止まった。

 リリアはそのことにほっとした。
 それと同時に、申し訳なさを覚える。

 シルカの話が本当なら、聖女はまだリリアのはずだ。なのに、リリアにはなにもできない。
 力が使えないのだ。
 上手く力が使えるなら、シルカの傷だって、あっという間に治せるはず。

 肝心なときに、守られてばかりで、役立たずだ。

 最後にキツく縛って、状況を確認しようとあたりを見回せば、先ほどいた場所にクヴィスリンが連れていた兵たちが倒れていた。

「あ、宰相様……」

 シルカの声が聞こえ、リリアはシルカが見ていたほうへ視線を向ける。
 そこには、お腹から血を流して倒れこんでいるクヴィスリンがいた。

「宰相様!」
「リリア待って。あの男が応急処置してるわ。今は勝手な行動しないで」

 リリアはシルカの厳しい顔を見て、まわりを見渡し、小さくうなずく。

「う、うん。わかった」

 遠くから、ガチャガチャと金属音が聞こえることに気づいて、リリアは緊張に顔を強張らせる。
 それ以上に、シルカが厳しい眼差しで奥を見つめていた。

「さっき、落ちあわせてるっていったでしょう。そこまで行きたいけれど……」

 シルカの言葉が途切れる。
 視線の先には、鎧に身を包み、ぞろぞろと坂を登ってきた兵士たちがいた。リリアは見覚えがあった。王太子直属の、護衛騎士だ。

 その騎士たちに囲まれ、黒い立派な馬に乗った王太子が後方から姿を現す。

「リリア・エスカーナ! この国の重要機密を国外に持ち出し、使用した罪によって、死罪を言いわたす!」

 リリアは戸惑った顔で、ちらりとシルカを見る。

「国外追放になったのに、私が悪いの……?」
「バカなのよ。まんまと騙されて、はらわた煮え繰り返る思いなんでしょうね」

 軽口を叩きながらも、シルカの表情は厳しい。

「意外と動くのが早かったわね。どうやって知ったのかしら。兵の人数も少ないし」
「あ……」

 リリアは、少しだけ思いあたる節があった。

「殿下は、クヴィスリン宰相様のこと、敵視してた。聖女になったばかりの私に、気をつけなさいって」
「なるほど。あんたと宰相様の繋がりも、あながちでたらめじゃなさそうね」

 リリアはちらりとクヴィスリンのほうを見る。
 傷が深いのか、まだ応急処置は終わらないらしい。

 リリアも手伝いたいが、リリアが行ったら邪魔になることは明らかだ。

 それよりも、王太子の注意を引きつけなければ。

「自分の失態を隠したいから、ココで一気にケリをつける気かしら」
「失態って……」
「あんた、外で力を使ったでしょう? それがこっちにまで噂になっているのよ。まだ上の者しか知らないけれど、これが民間人に知られたら王族の失脚もありえるわ」

 リリアはへにょりと眉を下げた。
 確かに力を使ったことになっているらしいが、リリアはよく覚えていないし、なにより、今は力が使えないのだ。

「あ、あのね、シルカ。でも私……」
「リリア・エスカーナ! こっちに来い!」

 力が使えないと言おうとしたリリアの声を、王太子の怒鳴り声が遮る。

「いい? リリア。行っちゃだめよ。何があっても。約束して」

 リリアの手を痛いくらいつかむシルカに、リリアは言いよどむ。

 そして、さっと周囲に視線を走らせる。
 クヴィスリンの連れていた兵もクヴィスリンも負傷して倒れているし、クヴィスリンの使いの男は手当に忙しそう。シルカも怪我をしている。

 王太子は騎士の数は多くないものの、装備は万全だ。
 今も、リリアたちに向かって銃を向けている。

「リリア・エスカーナ! 来ないならまた撃つぞ」
「あ……」
「大丈夫よ、走って逃げれるわ」
「でも。そうしたら、宰相様が」

 リリアはチラリとクヴィスリンを見る。
 シルカが眉を寄せ、舌打ちをした。

「あの男がなんとかするでしょう」
「でも、兵たちもいるよ」
「見捨てましょう」
「え……ええっ?!」

 あっさり切り捨てる決断をしたシルカにリリアは戸惑う。

「しかたないでしょう? あんた自分がどんな状況かわかってんの?!」
「わ、わかってるよ。だからこそ、私が逃げたら、他の人が……」
「あー、もうっ! あんたのそれ、ほんっとムカつく!」

 シルカがついに青筋を浮かべた。

 リリアとシルカの意見が対立することはよくあることだった。ものの見方が違うのだ。
 何度もぶつかって、そのたびにお互いが譲歩してきたが、今回はそうもいかない。

「シルカが先に行って?」
「それじゃ意味ないでしょ!」

 苛立った顔をしてリリアにつかみかかったシルカが、ハッとした顔をする。それと、銃声が響くのは同時だった。
 シルカが、とっさにリリアの体を押す。
 前のめりになったシルカの足を、銃弾がつらぬいた。

 バッと、赤がリリアの目の前を舞った。