あっという間に荷造りで一日が終わり、メルティアたちは城を旅立つことになる。
「じゃあ、行ってきます!」
「気をつけていっておいで」
「無理しないで、だめだったら帰ってくるのよ」
見送りに来ていた両親に手を振り、メルティアはジークのエスコートで馬車に乗る。
そして、メルティアに続いてジークも馬車に乗り込んだ。
馬に乗って行こうとしていたジークに、メルティアの父が「ティア一人だと心配だから……」と無理を通したのだ。
王の頼みを断れるはずもなく、ジークは馬車に乗って行くことになった。
メルティアは心の中で父に拍手をした。
さっそくご先祖パワーが発揮されたのかもしれない。
そうしてウキウキで馬車に乗り込んだものの、メルティアは困っていた。
いつものように作業もなく、密室に二人だけとなると何を話したらいいのかわからないのだ。
好きになってもらえるような会話をしなきゃと思えば思うほど、話す内容が消えていく。
メルティアは少ない会話のレパートリーを必死に捲った。捲って、捲って、何もないことに絶望する。
チラチラとジークをうかがっているとバチッと目が合う。心臓が飛び跳ねた。
「さっきからどうされました?」
「え? な、なんでもないよ。えっと、何か食べる?」
「朝食べたでしょう。おなか空いているのですか?」
「う、ううん。おなかいっぱい……」
むしろ胸がいっぱいだった。
「数時間したら休憩地点に着きますので、それまでのんびりしていたらいいですよ」
「う、うん」
うなずいたものの、緊張でちっとものんびりできない。
枕でも持ってきたらよかったとメルティアはため息をついた。
なんだか柔らかいものにぎゅーっとしがみつきたい気分だったのだ。
メルティアがあれこれ考えている間に、ジークは分厚い本を取り出して、そのままパラパラと読み出した。
メルティアも今すぐ恋愛指南書を読みたかった。
相手を虜にする会話術が書いてあったはずだ。
メルティアはそわそわとジークと窓の外を交互にながめて、やがて意を決してジークに声をかける。
「ジーク、何読んでるの?」
「これですか? ハルデナの記録ですよ。これまでに植えた花と成長の過程が記録されています」
「……」
「春の花たちが植えられた記録がありますが、確かに一月前くらいから急激にいくつかの花が枯れています」
ジークの解説を聞きながらメルティアは頭に衝撃を受けていた。
今回の遠出は遊びではない。
王家の使命がかかっているのだ。
国中を花で満たすこと。
これまでの王族が繋いできた大切な役目。
それなのに、メルティアは恋に浮かれてばかりだ。
ジークはまじめに街のことを考えているというのに。
ジークとお泊り! なんて思っていた自分が急に恥ずかしくなった。
「じ、ジーク。それ、わたしも見ていい?」
「どうぞ」
ジークが自分の隣をトントンとたたく。
メルティアがジークの隣に移動すると、ジークはメルティアに見えやすいように本を寄せてくれる。
「見づらくないですか?」
「大丈夫。ごめんね、ジークが持ってきたのに」
「いえ。時間があるときに目を通そうと思っていただけですから」
メルティアはざっと文字を追っていく。
「何かわかりますか?」
「うーん。とくにおかしなところはないかな。使っている肥料とかもお城から配給されているものだし、たまに独自ブレンドをしているけど、それも変じゃないよ」
メルティアパラパラとページを捲って、指で示しながら文字を追っていく。
「管理の人も変わっていないみたいだから、育て方も変わってないと思う」
「なら、季節の変化が原因ってことですか?」
「うーん。ハルデナはあんまり季節が変わらないのかな? ずっと春だったみたい。季節が変わるときは季節風が何日か吹くんだけど、それを知らなかったのかも」
メルティアは最新の資料を探してみたが、新しい記録はまだ届いていないようだった。
「でも季節に合わせてお花変えたらまた咲くし、別の問題かな?」
他に情報を探してみるが、とくに気になるものはない。
すると、何か考えていたジークが思い出すように視線を上に向けながら話し出す。
「そういえば前に、ディルがこの国の季節は異常と言っていたような」
「ディルにぃが?」
「はじめて他国に行って帰ってきたときでしたね。他の国は国の中にバラバラと四季は存在しないと言っていましたよ」
「そうなの?」
「それを調べてくると言ってあちこちを回っていたような。それ以降は聞いていませんね」
メルティアは今いない兄を少しだけ恨めしく思う。
「そういえば、ディルにぃ他の国に行って何してるんだろう? ジーク知ってる?」
「俺も詳しく聞いていませんね。調べ物をしているとは言っていた気はしますが」
「ディルにぃ頭いいからいっぱい知りたいことあるのかな」
「この国には他国の訪問者もいませんしね。外の世界が気になるのでしょう」
ジークは他にもいくつか資料を持っていた。
近隣の街の情報や、国全体の気温の変化など。
仕事の資料が山積みだった。
あまりにも量が多いので二人で手分けして資料を読んでいると、石でも踏んだのか突然馬車が大きく揺れた。
「わっ!?」
「メルティア様!」
油断していて前に転がりそうになったメルティアのおなかに、逞しい腕が巻き付く。
ぐっと引き寄せられて、メルティアはジークの足の間に腰を落とした。なんとか転げることは間逃れたようだ。
「あ、ありがとう」
「いえ。お怪我はありませんか?」
「う、うん」
顔を上げながら振り返る。と、ジークの顔が思っていた以上に近くにあった。
口と口がくっつきそうなくらい、近い。
お互い息を呑んだのが吐息でわかったほどだ。
「あ、ご、ごめんね」
メルティアはパッと前を向く。顔が焼けるように熱い。
キスができてしまいそうな距離だった。
ジークの驚いた顔がすごく近かった。
唇に吐息がかかったような気さえする。
しかも、よく考えたら今メルティアが座っているのはジークの足の間だ。
すぐ後ろにはジークがいる。
心臓の音が急激に速くなっていって、メルティアはそわそわと視線を泳がせた。
ジークの隣に戻ろうと思っても、ジークの腕がまだおなかに巻きついている。
ジークも驚いていたから、まだ固まっているのかもしれない。
今さら、花畑で抱き締められたときのことを思い出してしまった。
『あなたの幼なじみのジークとしてならいいのか』
そう言っていたジークの声がよみがえる。
幼なじみのただのジークは、めいっぱい抱き締めてくれた。頭を撫でてくれた。
なら、今は?
今は騎士のはずだ。だから不必要に触らないようにしてくれる、はず、なのに。
ジークの腕がちっとも離れない。
「あ、あの、ジーク……」
声をかけると、ぐっと強く引き寄せられた。背中に体温が移る。
メルティアは息を吞んだ。
「……メルティア様」
耳元をくすぐるように、低い声が響いた。
驚いたメルティアはびくりと肩を跳ねさせ、体をきゅっと小さくした。
「じ、ジーク?」
何か、変な気がする。
でも、何が変なのかわからない。
必死に考えて、メルティアは閃く。
空気だ。
空気が、空間が、なんだか少し、甘い気がする。
「ジーク、ど、どうしたの?」