城に戻ってすぐ、メルティアはガラスハウスに直行した。
倉庫を大きく開け放って、奥からすり鉢やら天日干し用のザルやらキノコの粉末やらを引っ張り出す。
「メルティア様?」
「ジーク、書くものない?」
「お持ちしますので少々お待ちください」
「ありがとう!」
メルティアは生えているハーブを毟りながら首だけ向けてそう答えた。
ジークがいない間もせかせかと手を動かす。少しでも時間が惜しかった。
少しでも多くの何かを、残したかった。
やがて、ジークが紙を持って戻ってくる。
「こちらでよろしいですか?」
「うんっ! ありがとう!」
お礼を言って、メルティアは早速ペンを走らせる。
しばらくしてペンを止めて、あれこれ頭を悩ませてはゴリゴリすり鉢ですり潰して、ハーブや花を採っては匂いを嗅ぐ。
何度も試作を繰り返して、納得いくまで何度も作り直して、納得いくいくものができたら最後にそれを紙にまとめる。
きゅっと最後の文字を書き終えて、メルティアは晴れやかな顔で振り返った。
「できたっ!」
メルティアはすぐにジークのところへ行った。
集中しているメルティアを邪魔しないようにと、ジークは静かに花の世話をしてくれていたのだ。
「ジーク! これっ」
ジークに紙を手渡す。
受け取ったジークは文字を眺めて不信そうに眉をひそめた。
メルティアはジークの隣に寄って、指で門司を示しながらレシピを簡単に説明する。
「一週間干して、蜂蜜……できたらティアナローズの蜜をかけて、それから……」
「……」
「あ、覚えられなくても大切なポイントとかもレシピに書いてあるから、その通りにしたら大丈夫だよ!」
黙って聞いていたジークが、怪訝そうにメルティアを見る。
「メルティア様のお茶のレシピですか?」
「うん。ジークが好きなのと、他にもいくつか作ったよ! みんなにも作れるように改良したから大丈夫だと思う!」
ジークはさらに眉をひそめた。
「いつものようにメルティア様が作ればよろしいのでは?」
それはもうできなくなるから、とは言わずに、メルティアは気持ちを押し隠して笑う。
「こっちの方が、いつでも飲めるから」
ジークはメルティアの顔をじっと見つめたまま黙り込んで、より一層眉間のシワを深くした。
そうして、レシピをそっと脇に置いて、真実を暴く鏡のごとくルティアの目を見る。
「何か、ありましたか?」
「……」
「メルティア様」
追求するような視線に耐えきれず、メルティアはふいと視線をそらした。
「何もないよ。何言ってるの?」
「うそをおっしゃらないでください」
「うそじゃないよ」
「見ていればわかります」
ジークがまっすぐにメルティアを見つめた。
「俺は、ずっと、あなたを見てきたんですから」
メルティアの心がピクリと反応した。
メルティアだって、ずっとジークを見てきた。
もっと一緒にいれると、そう思っていた。
だけど……。
鼻の奥がツンとして、まぶたの裏が熱くなる。
突然涙が溢れそうになって、メルティアは慌ててうつむいた。
「メルティア様」
ジークの靴が視界に映り込む。近づいてきたらしい。
メルティアは顔を見られないよう、さらに深くうつむいてやり過ごそうとした。
「何があったのですか」
「何もないよ」
「うそですね」
「ほんとだもん」
我慢していた涙がこぼれ落ちそうになって、くるりと後ろを向く。
「何があったのか言えないのですか?」
「何もないもん」
「メルティア様」
メルティアの肩をグッとジークがつかんだ。触れられるとは思わなくて、メルティアは驚いて顔を上げてしまう。
目を大きく見開いたジークと目が合った。
驚きで口も開いている。
メルティアは慌てて目をゴシゴシとぬぐった。ぬぐっても、ぬぐっても、溢れて止まらない。
ずっと、我慢していたのに。
行くと決めてから、泣かないようにしようと。
笑顔でこの国を出ていこうと、そう決めていたのに。
重苦しい沈黙のあと、ジークが静かに問いかけてくる。問いただすような、強い音で。
「……何があった?」
「……誰にも、言わないで」
「……」
「泣いてたって、誰にも言わないで。お願い、ジーク」
泣きながら敵国に行ったなんて知ったら、多くの人が気にしてしまう。
せめて、誰も気にしないように。
隣の国の人と結婚をするのだと、そう思われるように、幸せそうに国をあとにしなければいけないのに。
涙が、止まってくれない。
「ジーク、内緒にして。誰にも言わないで。お願い……」
ジークはしばらく黙り込んで、小さくうなずいてくれた。
「……あなたがそう望むのなら」
そうして、メルティアを隠すように抱きしめてくれる。
ふわりと温かさに包まれて、メルティアはジークの服を握りしめて静かに泣いた。
大丈夫、大丈夫。
そう思っても、不安でいっぱいで。
何より、もう二度とジークとは会えないんだと思ったら、心の奥にぽっかりと穴が空く。
泣いて、泣いて、泣き腫らして。
腫れた目を冷やして落ち着いてから部屋に戻る。もうすっかり夜になってしまっていた。
部屋の前で、メルティアはジークを振り返る。
「ジーク、そこにしゃがんで?」
「いいですが……どうされました?」
膝をついたジークの服から、メルティアの騎士の証を抜き取る。
ピンク色の薔薇のバッジを手にして、メルティアはにこりと笑った。
「ジーク・フォン・ランスト。今日で騎士の任を解きます」
ピシッと、空気が固まった。
「今までありがとう、ジーク」
ジークが膝をついたまま固まっているのを見て、メルティアは目を細める。
心の中で「ごめんね」と謝って、ジークに背を向けて部屋の中に入った。すぐにガチャリと鍵をかける。
と、同時に、慌ただしく扉がノックされた。
「メルティア様! どういうことですかっ? メルティア様!」
扉を叩くジークをメルティアは無視した。
布団に潜り込んで、目を閉じる。ついでに耳も塞いだ。
しばらく扉は叩かれていたが、開ける気がないのがわかったのか、「また明日きます」と、そう告げる声が聞こえた。
バタンと扉が閉まる音が聞こえて、やがて静寂がやってくる。
メルティアはほっと息を吐いた。
もっと素早く追求されたらどうしようかと思っていた。
つかまって目を見て「なぜだ」と言われたら、全部話していたかもしれない。
「さようなら」
それを伝える機会も、もうないかもしれないけれど。
メルティアはピンクのバッジを握りしめて、静かに目を閉じた。